アルパカの右にならえ

生ビールでも発泡酒でも幸せなアラサー。邦画と小説をこよなく愛する創作ヲタク。

拝啓

 忘れてしまった先生の名前を、私はいまだに思い出せない。厳密に言うと「先生」ではなく「司書」なんだけれど。

 高校の時に一年と少しだけ、私は放課後をよく図書室で過ごした。私の通っていた高校は、中学校の道路を挟んで向かい側に建っている。中学校を卒業して高校に入学しても、通学路は一切変わらなかった。その校門に面した図書室の窓から、私はよく中学校の校庭を眺めていた。陸上部が校舎の外周をランニングする姿や、風に乗って聞こえてくる野球部のかけ声。下校時間になると図書室内は夕暮れ色に染まった。

 人の少ない図書室で、私はひたすら英語のリーダーの予習をし続けた。特に勉強熱心だったわけではない。授業で当てられて答えられないことが恥ずかしくて嫌だった。ただそれだけの理由だった。

 司書さんは、六十歳くらいのおじちゃん先生だった。白髪頭で、鼻の穴と口の大きいカエルのような顔で眼鏡をかけていた。入学してからほぼ毎日通っていたため、先生に顔を覚えられるのに時間はかからなかった。図書室内に読みたい本がなければ「購入希望カード」を書いて提出するのだけれど、顔パスだった私は好きな本は即買ってもらえた。

 図書室内へは荷物を持って入れない。ある日誰か知らない男子がリュックサックを持ち込み、まだ貸し出し手続きの済んでいない本を持って帰ろうとした。それを見つけた先生は、お前のしていることは泥棒と一緒だ!と凄い剣幕で怒った。ばつの悪そうに下を向く男子は何を思っていたのか、うるせーな、って心の中で舌打ちくらいしていたのかもしれない。

 ある時、当時好きだった歌手の記事が図書室で保管されている過去の新聞に載っていると知り、私は先生にその記事をくださいと申し出た。山のような新聞の束から目当ての記事をがさがさと探していると、先生は真面目な顔をして「新聞なんかで尻を拭いたら尻が痛くなるぞ」と、私のことをトイレットペーパーも買えない貧乏人扱いをしてきたことを今でも鮮明に覚えている。周りに人がたくさんいる中で、大変失礼なギャグをかましてきやがった。

 高校三年に上がった春、司書さんが変わった。きっと卒業まで先生も同じようにこの学校にい続けるんだろうと、当たり前のように思っていた。新しい司書さんは若い女性だった。購入希望カードは一月分にまとめられ、図書会議で厳正なる話し合いの上に許可が出た本だけその次の月に購入された。こうして、気になる本は好きなだけ自由に買ってもらえる私の暴君時代にはすぐに幕が下りてしまった。新しい司書さんは優しくて話しかけやすく、図書室には一年生がよく増えた。

 ある夏、全校集会の退場間際。体育の先生がみんなの前で、先生が自宅で亡くなったことを報告した。布団の上で眠るように亡くなっていたらしい。司書さんに奥さんはいなかった。最期の時に、誰か大切な人はそばにいたんだろうか。私は、先生が眠りにつく瞬間が、安らかであったことを願って止まない。




 友人とうるさくしゃべって上級生に叱られたこと。クラスの少し気になる男子と初めて目を合わせて話したこと。体育の水着の入ったバッグをロッカーに忘れて、社会科の先生にわざわざ鍵を開けてもらったこと。文化祭のクラスの出し物で作った風車を先生にあげたこと。修学旅行のお土産の木彫りのフクロウを、貸し出しカード入れの上にちょこんと置いてくれていたこと。

 勉強や進路や友だち関係。高校で過ごした三年間には、楽しいことも悲しいこともたくさんあったはずなのに、今になって思い返すのはいつだって図書室の風景だった。あれからもう何度目になるのかなあ。春の終わり、梅雨のはじまり。季節が過ぎる瞬間にいつも私は、取り戻せないあの頃の景色に思いを馳せる。その度に、心はいつもあの場所へ還る。





 先生へ。私は今でも後悔していることが一つだけあります。読んでみ、と貸してくれた三浦綾子さんの「塩狩峠」という本。少し昔の本だったので私には文章が小難しく感じてなかなか読み進められませんでした。そしてとうとう途中で諦めて先生に返してしまいました。あの時先生は何も言わなかったけれど、人に貸した本が読まれずに返ってきてしまうこと、それが悲しいってことぐらい今の私ならわかります。というかあの時でも分かれよ自分。ほんと馬鹿。ごめんなさい。怒らないでいてくれてありがとう。今度本屋さんで買ったらちゃんと最後まで読みます。感想を伝えられないのが残念だけど、その時はまた文章にして書き残そうと思います。それではお元気で。ではまた。





2012/10/24

広告を非表示にする